プロレス・木村健悟「藤波は童顔でかわいらしい顔して、まだ身体も細かったから『絶対に俺のほうが強いだろ』と思ってたよ」
――そうなんですか。
木村 日本プロレスの時の道場での練習っていうのはけっこう大雑把で、トレーニングの仕方もトップから下までみんな合同でやるようなことはあまりなかったような気がしますね。みんなそれぞれバラバラに来て、それぞれ好きなトレーニングをして、最後、終わる時はスクワットをやるくらい。それもせいぜい100回くらいだったから。
――新日本道場はどうだったんですか?
木村 新日本はその逆で、朝の練習開始時間までには全員揃って、いきなりスクワット。準備運動みたいなものなんだけど、それが最低でも300回、多いときは500回やって、クタクタになってから本格的なトレーニングが始まるから。もう全然違うので最初は大変でしたよ。
――猪木さんも日本プロレス出身なのに、そこまで違ったんですね。
木村 でも考えてみたら、プロレスラーはこうじゃなきゃいけないんですよ。日本プロレスのようにぬるま湯に浸かって、練習場にただ顔出せばいいっていうのじゃダメ。やっぱりプロレスラーは鍛えて強さを身につけなきゃいけないから、新日本のトレーニングの方がレスラーらしいですよ。
――猪木さんも日プロを追われた身ですから、トレーニングでも絶対に負けないみたいな思いもあったんですかね。
木村 あったんだろうねえ。日プロだけじゃなく、全日本、国際も含めて、ウチがいちばん厳しい練習をしてるっていうね。それがあったから新日本という名前がいちばんデカくなった。猪木さん自身がすごい練習していたからね。
――木村さんは途中から新日本に入った外様になるわけじゃないですか。生え抜きの選手たちとの軋轢はなかったんですか?
木村 そういうのはあまりなかったかな。ある程度、みんな仲良くできたなと思いますよ。
――坂口さん一派が合流したことでテレビ放送も付いて、新日本が救われたわけですもんね。
木村 それにボク自身も坂口さんのパンツ洗いではあるんだけど、新日本に来てからはすっかり猪木さんにハマッちゃったから(笑)。
――あっさり猪木派に転向ですか(笑)。
木村 人間的には坂口さんの人間性が好きなんですよ。でも、レスラーとして見たら、やっぱりアントニオ猪木には敵わないですよ。いくら坂口さんが柔道で日本一でも、これは違う。ボクはそこに憧れましたね。だからボクは坂口さんのカバン持ちをやりながら、プロレスラーとして崇拝していたのはアントニオ猪木。あんな人はもう二度と出てこない。坂口さんと猪木さんはまるっきり正反対なところがあるんだけど、あの二人がいたから今の俺があると思うし、あの二人が揃ったから新日本は大きくなっていったと思うんですよ。