スタン・ハンセン「『ラリアット』がプロレス技として辞書に載ったりしたら、こんなに光栄なことはないね」
――ブッチャーが新日本に来たことも大きな理由の一つだったわけですね。
ハンセン ブッチャーの移籍は、まさに“寝耳に水”で本当に驚いたんだ。当時のニュージャパンは自分がいて、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンもいて、タレントが揃っていて、お客もたくさん入っていたのに、なぜ、ブッチャーを引き抜く必要があるのか、わからなかった。正直に言えば、「俺だけじゃ物足りないのか?」と、プライドも傷つけられた思いもあったね。
――野球で言ったら、クリーンナップがしっかり固定されてるのに、ライバル球団の4番を連れてくるようなものですよね。
ハンセン そういった状況もあり、オールジャパンに行けばブロディとタッグを組むチャンスもあるし、これまで対戦したことがないレスラーと闘うこともできる。それによって、ピンチを迎えていたオールジャパンを復活させることができるかもしれないと思い、いろいろ考えた結果、移籍することにしたんだよ。
――結果的にその決断は大正解でしたよね。あれによって、プロレス界全体が活性化しましたから。81年の『世界最強タッグ』優勝戦で、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカのセコンドとして、新日本の外国人エースだったハンセンさんが登場した時の衝撃は、今でも鮮明に憶えてますよ。
ハンセン 日本は情報が回るのが早いので、そういうシークレットを守るのは非常に難しい国でもあるんだけど、ミスター・ババは賢くうまくやったね(笑)。私があそこでオールジャパンの会場に現れるとは、みんな夢にも思っていなかっただろう。会場が騒然となったからね。
――何しろ、3日前まで新日本の『MSGタッグ』に出ていたわけですからね。あの『世界最強タッグ』での乱入がきっかけとなって、ブロディと“超獣コンビ”が結成されるわけですけど、あれは誰のアイデアだったんですか?
ハンセン あのタッグ結成は、誰によるものかというより、必然的なものだったと思う。ブロディとはウエスト・テキサス州立大学のアメリカンフットボール部から一緒で、グリーンボーイ時代にもルイジアナでタッグを組んでいた。そういう歴史を踏まえて、「俺たちで天下を取ろうぜ!」と、ブロディと意見が一致したこともあるし、ミスター・ババも我々の活躍を期待していた。組むべくして組んだ、という感じだと思う。