田原総一朗『堂々と老いる』疲れたっていいんですよ好きなことをしているんだから
――電通を激怒させたという。
田原 反対派というのは珍しくないけど、あのときは推進の市民運動が起きていた。取材を進めると、バックに大手広告代理店――電通がいることがわかった。それを書いちゃった。そしたら、「こんな人間がいる企業のスポンサーなんかやらないぞ」と電通が激怒した。三流テレビ局ですから、電通が撤退するととても困る。それで、会社から「連載を辞めるか」、「会社を辞めるか」の二択を迫られた。僕はどちらも辞めたくなかった。だから固辞して、どちらも選ばなかったんです。ところが、局長、常務が処分され、局内で大々的に発表された。それを見たとき、これは自分も辞めなきゃいけないなと思った。
――自発的に退職したと思っていました。しかし、実はそんなことが……。
田原 そんな発表を見ちゃったら、もう辞めるしかない。でも、僕は運がいいというか、東京12チャンネル時代に、『あらかじめ失われた恋人たちよ』という映画を撮った。手応えがあったものの、製作途中に連合赤軍事件が起きた。つまり、全共闘が解体してしまった。学生運動がすべて終わったということは、若者が好き勝手なこと、反体制的なことをする時代が終わったことを意味する。『あらかじめ失われた恋人たちよ』は、若者の青春を描いた作品だったんだけど、公開時には時代の雰囲気がまるで変わっていて、映画はまったくウケなかった! 残ったのは借金だけ! その借金を返さないといけないということで、いろいろな原稿を書き始めたんです。東京12チャンネルは給料が安かったから(笑)。
――会社は黙認していたんですか?
田原 ありがたいことにすべてOKだった。僕は、必ずこういうことをしますと事前に申告するんだけど、すべて許容してくれた。だから、本当に大好きなテレビ局だった。お世話になった会社の局長、常務が処分されてしまったわけだから、もう辞めざるを得ないって。ただ、借金をきっかけにいろいろな仕事をするようになっていたから、ありがたいことにフリーになっても仕事の依頼は多かったんですね。
――42歳でフリーになった。ところが、本書につづられている“原因不明の病気”に襲われるんですよね?
田原 漢字一文字なら読めるんだけど、突然、単語や熟語になると読めなくなってしまって。当然、新聞も読めない。自分の原稿も書けない。そんなことが依頼者である新聞社や出版社にバレたら仕事がなくなるかもしれない。2カ月くらい病気に悩まされ、家族や仲間の力を借りて――、僕が口述したことを代筆してもらったりすることで、なんとかしのいだ。フリーになったことで、気張りすぎていたんだろうね。僕の40代は全力投球だった。そうじゃないと生きていけないと思った。僕はコンプレックスのかたまりだから、毎朝、全国・ブロックの新聞6紙からスポーツ紙までチェックしないと気が済まない。不安なんです(苦笑)。コンプレックスのかたまりである以上、頑張るしかない。