船木誠勝「ガチンコでやれば八百長って言われなくなる 単純にそう思ってましたね」【UWF】
理想と現実の狭間
――それでいざUWFに参戦してみると、理想と現実が違ったわけですか?
船木 違いました。自分は海外に行ってたので、UWFの人気とか、どんな試合をやっているのか、送ってもらったプロレス雑誌でしか知らなかったんですよ。だから、もっと新日本vsUWFみたいな派手で激しい試合を想像してたんですけど、実際に見てみたら、みんなキックと関節技とスープレックスの同じような試合で、「これってどうなのかな?」って。
――船木さんの目には、地味であまり面白いようには見えなかった、と。
船木 はい。だけどお客は入ってるし、キックのダウンシーンとか要所要所は会場も沸いてるんで、何が正解なのかわからなかったですね。なんか、そこにすんなり入っていけない自分に腹が立って、ちょっといたずらじゃないですけど、試合で抵抗したんです。
――だからUWF移籍第1戦の藤原さんとの試合(89年5月4日、大阪球場)では、派手目の試合展開のあと、一度藤原さんの反則裁定が下ったのに、勝手に延長戦をやっちゃったんですよね?
船木 プロレスだったらそれで盛り上がっていいんじゃないかと思ったんですけど、試合後、前田さんに怒られましたね。
――あの試合を見て、「これは真剣勝負のスポーツではない」って、スポンサーが降りちゃったんですよね。
船木 それを前田さんに言われましたね。「おまえのせいでこうなってしまって、どうするんだ」って。
――船木さんはプロレスラーとして盛り上げようとしたことが、UWFでは裏目に出てしまったわけですよね。続く、ボブ・バックランド戦(89年5月21日、東京ベイNKホール)では、コーナーからミサイルキックを出して反則負けになりましたけど、あれは最初から考えていたんですか?
船木 はい。バックランドって昔から、相手がキーロックを仕掛けると、そのままコーナーまで持ち上げてたじゃないですか。だから、そこでミサイルキック出せば盛り上がるだろうなと思って。実際、そこで一番沸きましたからね。