船木誠勝「ガチンコでやれば八百長って言われなくなる 単純にそう思ってましたね」【UWF】
船木誠勝にインタビューを実施――。UWFが旗揚げされた時から、近くで団体の存在を感じ、そして第2次UWFではリングに上がった船木誠勝。プロレスラーが真剣勝負に挑み、故に苦悩することもあった。虚実が混同する歴史の転換点で男は何を見てきたのか?
UWFとの奇妙な縁
――第1次UWFができたのは、船木さんが新日本プロレスに入門してすぐですよね?
船木 すぐというか、当日ですね。自分が新日本の合宿所に入寮した84年の4月11日が、ちょうどUWFの旗揚げだったんですよ。
――そうだったんですか!
船木 その日、大宮スケートセンターでのUWF旗揚げ戦に出場した髙田(延彦)さんが、夜中に合宿所に帰ってきたのを覚えてますから。
――髙田さんは、新日本からの貸し出しというかたちで、UWFの旗揚げシリーズに出てたんですよね。
船木 あと、自分は新日本に入団前、UWFに入る話もあったんです。東北のプロモーターを通じて、新日本の入門テストを受けさせてもらったんですけど、「もし新日本がダメでも、今度できるUWFという団体なら入れるから」とも言われてたので。ただ、当時はUWFなんて聞いたこともなかったし、「そんな団体には行きたくないな」と思ってましたけどね(笑)。
――では、新弟子時代からUWFとは奇妙な因縁があったんですね。
船木 そして同年6月に藤原(喜明)さんがUWFに移籍するとき、自分と(素顔時代の)ライガーさんは「一緒に行かないか?」と誘われたんですよ。「新しい団体では、関節技とキックとスープレックスの試合をやる」って説明されたんですけど、自分はまったくイメージがつかなくて。「それってプロレスなのかな?」とも思って。でも、藤原さんは自分の先生だったので、先輩のライガーさんが行くなら自分もついていこうと思ったんですよ。でも、ライガーさんは残り、結局、新日本からは髙田さんだけが、藤原さんについていきましたね。