宮戸優光「前田さんとの関係が、第三者の焚きつけのようなかたちで壊されてしまったのは、悲しいことですよ」【UWF】
――宮戸さんが、佐山さんが新日本退団後に開いたタイガージム(のちにスーパータイガージム)に入られたのも、前田さんの勧めだったんですよね。
宮戸 そうですね。当時、僕は大学生だったんですけど、前田さんの家にお世話になることも多く、そしたらある日、前田さんから「佐山さんがこの辺にジムを出そうと準備してるらしいぞ。すぐ近くだから遊びに行ってみようか?」って言われて、ホントに歩いて10分ぐらいの近所だったんで行ってみたんです。携帯電話なんかない時代ですから、事前に連絡もせずに行ったのを覚えていますよ。そしたら佐山先生も「おお、来たか」みたいな感じでね。いま思えばタイガージムのオープン前の準備段階だったんですけど、そこでお話をさせていただいて。その時、前田さんに「宮戸なんか、学生で暇してるんだから、ここで一緒に練習させてもらったらいいんだよ。佐山さんも一人で練習してるより、こいつみたいなのがいた方がいいでしょ?」って言われて。佐山先生にも「そうだね、来て来て」って言っていただいて、お言葉に甘えて翌日から行っちゃったんです(笑)。そのまま暗黙のうちに佐山先生との練習の日々が始まる感じでしたね。
――当時はジムオープン前だから、練習はマンツーマンだったわけですか。
宮戸 そうですね。僕はプロレスラーになるという夢を以前から持っていましたから、佐山さんとマンツーマンで練習させていただける環境というのは、信じられないというか、ありがたかったですね。その後、ひとりふたり増えて。もちろん練習はキツかったですけど。週6日、1日5〜6時間はやってましたから。それで2ヶ月くらいが経ったある日、「今度ジムを開くんだけど、手伝ってくれないか?」って言われて。佐山先生とふたりっきりから始まって、そうやって誘っていただけたのは、何か自分が認められたような気がして、うれしかったですね。
――それで宮戸さんは、タイガージムのインストラクターになるわけですけど、当時はそれでもプロレスラーを目指していたんですか。
宮戸 どうだったんでしょうね。あの頃は、毎日の練習に必死だったし、それだけでうれしかったので、あまり考えていませんでしたね。佐山先生がリングに戻るとも思っていませんでしたから。でも、84年4月に旧UWF(第一次UWF)ができて、7月の「無限大記念日」から佐山先生が現役復帰されたじゃないですか。また、2月からインストラクターとしてタイガージムに加わっていた山崎一夫さんも、佐山さんと一緒にUWFのリングに上がったので、その辺から自分もプロレスラーとしてリングに上がれるかもと、現実的なものとして考え始めましたね。