【BUBKA12月号】TAJIRI、WWEからアジア新興団体まで世界を熱狂させた男が語る…旅とプロレスの関係性
――最初からそこまで考えていたってすごいですね。
TAJIRI IWAが旗揚げされる前は、大学出てサラリーマンやって、ある程度お金が貯まったら退職して、メキシコでプロレスラーになろうと思ってたんですよ。そしたらビクターがいるIWAができたんで、そこに入ったんです。それで入門して1年ぐらい経った頃、IWAには道場がなかったので、ことあるごとに「作りましょう」って言ってたら、代表の(浅野)金六さんに煙たがれ始めたんですよ。またその頃、金六さんとビクターの仲も悪くなってきて。ビクターが後押しをしてくれたんで、IWAを辞めて、すごくいい形でメキシコに行けたんですよね。
――裸一貫ではなく、ビクターの紹介で行くことができたんですね。
TAJIRI そうなんです。僕がIWAでデビューして半年くらいの時、一度、ビクターがメキシコに連れていってくれて、その時、(メキシコの有名会場である)アレナ・メヒコ、アレナ・コリセオで試合をしたんですけど、CMLL(メキシコの老舗プロレス団体)の代表が気に入ってくれて。それもあって、IWAを辞めたあとは、最初からNWA Jr.ウェルター級チャンピオン決定トーナメント出場者の一人として、セットアップされた状態で行かせてもらえたんです。